Câu 1: 去年よ利益がわずかに増えた。
A. りし
B. りそく
C. りえき
D. りじゅん
Câu 2: 橋本選手の活躍で、なんとかピンチを逃れた。
A. のがれた
B. はなれた
C. それた
D. まぬがれた
Câu 3: 子どものおもちゃは、安全性を考慮して選ぶようにしている。
A. こうろ
B. こうりょ
C. こうろう
D. こうりょう
Câu 4: この辺りは視界を遮る物が何もない。
A. さまたげる
B. さえぎる
C. せばめる
D. へだてる
Câu 5: この説は科学的な根拠に乏しい。
A. こんしょ
B. こんじょ
C. こんぎょ
D. こんきょ
Câu 6: 何事も初めが肝心だ。
A. たんしん
B. かんしん
C. たんじん
D. かんじん
Câu 7: 物置の隅で、ほこり( )になっている古い人形を見つけた。
A. ぐるみ
B. がらみ
C. まみれ
D. ずくめ
Câu 8: 木村さんとは共通の趣味があるので、いつも会話が( )。
A. 舞う
B. 弾む
C. 転がる
D. 跳ねる
Câu 9: 地域の( )に合った医療のシステムが求められている。
Câu 10: その選手は、十年に一人の( )だと言われている。
A. 玄人(くろうと)
B. 大家(たいか)
C. 巨匠(きょしょう)
D. 逸材(いつざい)
Câu 11: 書類に( )があった場合、申請は受理されません。
Câu 12: 約300年前の絵画 ( ) が終わり、来月から公開される予定だ。
Câu 13: 経済だけでなく、法律にも詳しいのが彼の( )だ。
Câu 14: この映画は画期的な手法で製作された。
A. 広く知られている
B. 最近ではめずらしい
C. 非常に時間がかかる
D. 今までになく新しい
Câu 15: あの企業は海外市場への進出をもくろんでいる。
A. 計画して
B. 果たして
C. 開発して
D. あきらめて
Câu 16: 問題を解決するために、もう少し手がかりが欲しい。
A. イメージ
B. サポート
C. チャンス
D. ヒント
Câu 17: あの人の話はにわかに信じられない。
A. すぐには
B. 完全には
C. すなおには
D. 簡単には
Câu 18: この鍋は重宝している。
A. 以前より値上がりしている
B. 形が期に入っている
C. 評価が高まっている
D. 便利で役に立っている
Câu 19: 中村さんは仕事に対していつもシビアだ。
A. 弱気だ
B. 厳しい
C. 柔軟だ
D. 注意深い
Câu 20: 連携
A. 学校は地域と連携して生徒の安全を守っている。
B. 複数の社員で一台のプリンターを連携して使っている。
C. 最近のいて株価は、為替レールと連携上下している。
D. 登山のときには、必ず地図を連携してください。
Câu 21: 不服
A. 彼の失礼な態度は、そこにいた人々の不服を買った。
B. カラオケで思い切り歌って、日ごろの不服を晴れそう。
C. 審判の判定に不服を唱えるあことはできない。
D. この部署で、お客様からの不服を受け付けています。
Câu 22: かなう
A. 苦労がかない、彼は俳優として成功をおさめた。
B. 天気情報がかない、今日は一日中快晴だった。
C. 準備を重ねてきたイベントが無事かなった。
D. 自分の店を持つという夢が、とうとうかなった。
Câu 23: 目覚しい
A. あの新人選手は目覚しい成長を見せている。
B. 上の階で目覚しいほどの大きな物音がした。
C. この赤はとても目覚しい色で人目をひくね。
D. 夕べ早く寝たので、今朝はとても目覚しい。
Câu 24: ほどける
A. ねじがほどけて、イスがぐらぐらしている。
B. 靴のひもがほどけないようにしっかり結んだ。
C. シャツのボタンがほどけているから、とめた方がいいよ。
D. クラスに浮かぶ水がみるみるうちにほどけた。
Câu 25: 赴任
A. 明日から三日間東京へ赴任しなければならない。
B. 新入社員の研修では、実際に売り場にも赴任してもらう。
C. 部長が海外の支社に赴任するので、みんなで送別会を開いた。
D. 田中氏が7新しい社長に赴任することが発表された。
Câu 26: 人気作家A氏の講演会が無料( )、多くのファンが詰めかけた。
A. にして
B. にあって
C. として
D. とあって
Câu 27: 都会から田舎に移り住んだ人の話を聞く( )、「田舎は人を癒すカを持っている」とつくづ感じる。
A. につけ
B. なり
C. とは
D. にしてみると
Câu 28: この鍋は、いため物に、揚げ物に( )何にでも使えて便利です。
Câu 29: プリンターの調子が悪くなり、製造会社に電話で問い合わせたら、向こうの担刍者に、あれこれ質問に答え( )あげく、対応できないと言われた。
A. させた
B. させられる
C. させる
D. させられた
Câu 30: その日、私はホームに入ってきた電車に飛び乗った。ところが、電車は反対方向に走り始めた ( )。私は電車の行き先を確かめなかったことを後悔した。
A. ではない
B. ではないか
C. のではない
D. のではないか
Câu 31: インタビューで)
A「お店で一番気をつけていることは何ですか。」
B「衛生管理です。お客様に食事を( )、衛生面の管理には、何よりも注意しております。」
A. お出しになる以上
B. お出しになるうえ
C. お出しする以上
D. お出しするうえ
Câu 32: 留学するまで、私は自分が見ている世界がすべてだと思っていた。実は、それが世界のほんの小さな一部分( )気付いていなかった。
A. でないことにしか
B. でしかないことに
C. にないことでしか
D. にしかないことで
Câu 33: (パソコンを使いながら)
A「ねえ、この前教えた計算機能、使ってみた?」
B「うん。今まであんなに時間をかけてたのが( )簡単に計算できたよ。」
A「でしょう。パソコンのことならまかせてよ。」
A. ばかばかしい思いをするもので
B. ばかばかしく思えるもので
C. ばかばかしい思いうをするくらい
D. ばかばかしく思えるくらい
Câu 34: 山中「あ、木村先生でいらっしゃいますか。AB出版の山中でございますが、今から原橋をいただきに上がってもよろしいでしょうか。
木村「すみません。まだできていないんでた、あと3日( )。」
A. 待っておいでになります
B. お待ち申し上げております
C. 待たせていただくことにしましょうか
D. 待っていただくわけにはいきませんか
Câu 35: 宇宙飛行士 山田太郎さんへのインタビューで)
山田「実は、初めから宇宙飛行士になる( )、そうじゃないんです。大学を出たら、医者になろうと思っていましたから。」
記者「では、何がきっかけで、宇宙飛行士になりたいと思ったんですか。」
A. つもりだったかっていうと
B. つもりなのかっていわれたら
C. つもりじゃなかったのかっていわれたら
D. つもりがなかったかっていうと
Câu 36: 大学入試では、試験当日初めてその大学に行き、迷ってしまった ___ ___ ★ ___事前に見学しておくとよい
A. ない
B. という
C. ように
D. ことの
Câu 37: 趣味を持つのは良いとだと思いますが、家庭を犠牲 ___ ___ ★ ___、それはちょっと問題です。
Câu 38: 管理職になったら、たとえ ___ ___ ★ ___ 部下の失敗も引き受けるというくらいの覚悟がなくてはならない。
A. だとして
B. がなくても
C. 自分には責任
D. 自分の責任
Câu 39: ___ ___ ★ ___ 小さな町工場だった。
A. もともとは
B. 我が社だが
C. 今でこそ
D. 一流企業と言われる
Câu 40: 新番組でこれまでにない役柄を演じる俳優の上田秋さん、役作りに悩んでいる ___ ___ ★ ___ という。
A. と
B. うでもない
C. 思いきや
D. のか
Câu 41: 広告主の品位
きょうはCMの中身ではなく、CMの出し方について、広告主の人たちにお願いをしたい。
番組の途中にCMが..①..。が、モンダイはその入り方のタイミングだ。たとえば、歌やものまねのうまさを競い合う番組の中で、いざ、審査員の点数が出ようとするその直前に、ポンとCMが割って入る。あるいは、クイズ番組の中で正解が発表されようとするその瞬間に、サッと画面がC Mに入れ替わる。ああいうせこい(注1)ことは..②..。
あれは広告主がやっているわけでなく、番組を作らているテレビ局の人の考えでやっているんだろう。が、それだったら、そういういやらしいCMの入れ方はしないでほしいと、テレビ局の人に注文をつけてもらいたい。
..③-a..、みんながテレビの前で身を乗り出している瞬間にCMを入れれば、見られる..③-b..。が、わざわざ番組の流れを断ち切り、視聴者の感興かんきょう(注2)をそいでまで強引にCMを見せようとするやり方って、さもしくないだろうか。みっともなくないだろうか。
CMのセンスは、企業のセンスのあらわれである。それはCMの中身だけでなく、CMの出し方にも言えることだ。せっかくいいCMを作っても、ああいう出し方をされると、なんと視聴者をバカにした企業だろうと思われてしまう。いやおうなしに..④.. ああいうやり方は、極端に言えば暴力みたいものであって、消費者を大切に思う企業のやることじゃない。
近ごろハヤリの言葉で言えば、これは企業の「品位」にかかわるモンダイである。..⑤-a..だけじゃない、..⑤-b..だいぶ前から、「品がねえぞ」怒ってるよ。
(天野祐吉 朝日新聞2008年4月15日付朝刊による)
(注1)せこい: ずるい
(注2)感興かんきょうする: 何かについて持っている興味をなくさせる
①に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
A. 入るのにいい
B. 入るのがいいのか
C. 入るのはいい
D. 入るのでいいのか
Câu 42: 広告主の品位
きょうはCMの中身ではなく、CMの出し方について、広告主の人たちにお願いをしたい。
番組の途中にCMが..①..。が、モンダイはその入り方のタイミングだ。たとえば、歌やものまねのうまさを競い合う番組の中で、いざ、審査員の点数が出ようとするその直前に、ポンとCMが割って入る。あるいは、クイズ番組の中で正解が発表されようとするその瞬間に、サッと画面がC Mに入れ替わる。ああいうせこい(注1)ことは..②..。
あれは広告主がやっているわけでなく、番組を作らているテレビ局の人の考えでやっているんだろう。が、それだったら、そういういやらしいCMの入れ方はしないでほしいと、テレビ局の人に注文をつけてもらいたい。
..③-a..、みんながテレビの前で身を乗り出している瞬間にCMを入れれば、見られる..③-b..。が、わざわざ番組の流れを断ち切り、視聴者の感興かんきょう(注2)をそいでまで強引にCMを見せようとするやり方って、さもしくないだろうか。みっともなくないだろうか。
CMのセンスは、企業のセンスのあらわれである。それはCMの中身だけでなく、CMの出し方にも言えることだ。せっかくいいCMを作っても、ああいう出し方をされると、なんと視聴者をバカにした企業だろうと思われてしまう。いやおうなしに..④.. ああいうやり方は、極端に言えば暴力みたいものであって、消費者を大切に思う企業のやることじゃない。
近ごろハヤリの言葉で言えば、これは企業の「品位」にかかわるモンダイである。..⑤-a..だけじゃない、..⑤-b..だいぶ前から、「品がねえぞ」怒ってるよ。
(天野祐吉 朝日新聞2008年4月15日付朝刊による)
(注1)せこい: ずるい
(注2)感興かんきょうする: 何かについて持っている興味をなくさせる
②に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
A. やめようと思う
B. やめてほしいのだ
C. やめるのだろうか
D. やめられるものではない
Câu 43: 広告主の品位
きょうはCMの中身ではなく、CMの出し方について、広告主の人たちにお願いをしたい。
番組の途中にCMが..①..。が、モンダイはその入り方のタイミングだ。たとえば、歌やものまねのうまさを競い合う番組の中で、いざ、審査員の点数が出ようとするその直前に、ポンとCMが割って入る。あるいは、クイズ番組の中で正解が発表されようとするその瞬間に、サッと画面がC Mに入れ替わる。ああいうせこい(注1)ことは..②..。
あれは広告主がやっているわけでなく、番組を作らているテレビ局の人の考えでやっているんだろう。が、それだったら、そういういやらしいCMの入れ方はしないでほしいと、テレビ局の人に注文をつけてもらいたい。
..③-a..、みんながテレビの前で身を乗り出している瞬間にCMを入れれば、見られる..③-b..。が、わざわざ番組の流れを断ち切り、視聴者の感興かんきょう(注2)をそいでまで強引にCMを見せようとするやり方って、さもしくないだろうか。みっともなくないだろうか。
CMのセンスは、企業のセンスのあらわれである。それはCMの中身だけでなく、CMの出し方にも言えることだ。せっかくいいCMを作っても、ああいう出し方をされると、なんと視聴者をバカにした企業だろうと思われてしまう。いやおうなしに..④.. ああいうやり方は、極端に言えば暴力みたいものであって、消費者を大切に思う企業のやることじゃない。
近ごろハヤリの言葉で言えば、これは企業の「品位」にかかわるモンダイである。..⑤-a..だけじゃない、..⑤-b..だいぶ前から、「品がねえぞ」怒ってるよ。
(天野祐吉 朝日新聞2008年4月15日付朝刊による)
(注1)せこい: ずるい
(注2)感興かんきょうする: 何かについて持っている興味をなくさせる
③-a と③-bに入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
A. a やはり/ b だづた
B. a いったい/ b のか
C. a といっても/ b わけでもない
D. a たしかに/ b ことは間違いない
Câu 44: 広告主の品位
きょうはCMの中身ではなく、CMの出し方について、広告主の人たちにお願いをしたい。
番組の途中にCMが..①..。が、モンダイはその入り方のタイミングだ。たとえば、歌やものまねのうまさを競い合う番組の中で、いざ、審査員の点数が出ようとするその直前に、ポンとCMが割って入る。あるいは、クイズ番組の中で正解が発表されようとするその瞬間に、サッと画面がC Mに入れ替わる。ああいうせこい(注1)ことは..②..。
あれは広告主がやっているわけでなく、番組を作らているテレビ局の人の考えでやっているんだろう。が、それだったら、そういういやらしいCMの入れ方はしないでほしいと、テレビ局の人に注文をつけてもらいたい。
..③-a..、みんながテレビの前で身を乗り出している瞬間にCMを入れれば、見られる..③-b..。が、わざわざ番組の流れを断ち切り、視聴者の感興かんきょう(注2)をそいでまで強引にCMを見せようとするやり方って、さもしくないだろうか。みっともなくないだろうか。
CMのセンスは、企業のセンスのあらわれである。それはCMの中身だけでなく、CMの出し方にも言えることだ。せっかくいいCMを作っても、ああいう出し方をされると、なんと視聴者をバカにした企業だろうと思われてしまう。いやおうなしに..④.. ああいうやり方は、極端に言えば暴力みたいものであって、消費者を大切に思う企業のやることじゃない。
近ごろハヤリの言葉で言えば、これは企業の「品位」にかかわるモンダイである。..⑤-a..だけじゃない、..⑤-b..だいぶ前から、「品がねえぞ」怒ってるよ。
(天野祐吉 朝日新聞2008年4月15日付朝刊による)
(注1)せこい: ずるい
(注2)感興かんきょうする: 何かについて持っている興味をなくさせる
④に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
A. 見させてしまう
B. 身を乗り出させる
C. 見られてしまう
D. 身を乗り出される
Câu 45: 広告主の品位
きょうはCMの中身ではなく、CMの出し方について、広告主の人たちにお願いをしたい。
番組の途中にCMが..①..。が、モンダイはその入り方のタイミングだ。たとえば、歌やものまねのうまさを競い合う番組の中で、いざ、審査員の点数が出ようとするその直前に、ポンとCMが割って入る。あるいは、クイズ番組の中で正解が発表されようとするその瞬間に、サッと画面がC Mに入れ替わる。ああいうせこい(注1)ことは..②..。
あれは広告主がやっているわけでなく、番組を作らているテレビ局の人の考えでやっているんだろう。が、それだったら、そういういやらしいCMの入れ方はしないでほしいと、テレビ局の人に注文をつけてもらいたい。
..③-a..、みんながテレビの前で身を乗り出している瞬間にCMを入れれば、見られる..③-b..。が、わざわざ番組の流れを断ち切り、視聴者の感興かんきょう(注2)をそいでまで強引にCMを見せようとするやり方って、さもしくないだろうか。みっともなくないだろうか。
CMのセンスは、企業のセンスのあらわれである。それはCMの中身だけでなく、CMの出し方にも言えることだ。せっかくいいCMを作っても、ああいう出し方をされると、なんと視聴者をバカにした企業だろうと思われてしまう。いやおうなしに..④.. ああいうやり方は、極端に言えば暴力みたいものであって、消費者を大切に思う企業のやることじゃない。
近ごろハヤリの言葉で言えば、これは企業の「品位」にかかわるモンダイである。..⑤-a..だけじゃない、..⑤-b..だいぶ前から、「品がねえぞ」怒ってるよ。
(天野祐吉 朝日新聞2008年4月15日付朝刊による)
(注1)せこい: ずるい
(注2)感興かんきょうする: 何かについて持っている興味をなくさせる
⑤-aと⑤-bに入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
A. a ぼく/ b みんな
B. a 広告主/ b みんな
C. a 広告主/ b ぼくも
D. a ぼく/ b 広告主も
Câu 46: 食器のバラエティ、日本のやきもの(注)の特色の一つだと思います。そして、日本人のやきものに対する思いとか愛着は食器のみならず、種類の豊富さにあらわれているといってもいいでしょう。
私たちは食事のたびに、もちろん料理も食べていますが、知らずに目で食器も食べているのです。だから興味・関心がないというのは、不注意なだけなのです。すでに下地はできているのですから、あと一歩踏みこめば、やきものに興味・関心がグッと深まるはずなのだと思います。
(江ロ滉 『やきものの世界』による)
(注)やきもの:陶芸品
筆者の考えに合うのはどれか。
A. 食事のたびに食器を眺めることで、陶芸品への愛着が強まる。
B. 日常使う食器に注意を向けることで、陶芸品への関心が高まる。
C. 食器を通して陶芸品に興味を持つことで、芸術全般への関しが高まる。
D. 家庭にいろいろな食器を取り入れることで、陶芸品への愛着が強まる。
Câu 47: おとなは子どもに「嘘つきは泥棒のはじまり」として正直であることを強要しますが、弱者は苦し嘘をついてでも自らの尊厳を守ろうとします。
論理的に正しいことを理性と呼ぶとすれば、理性的にあることができるのは強者だからです。強者はそれゆえに理性的に弱者の過ちを責めようとしますが、弱者の立場からいえば、それは何の意味も持たないことが多いです。弱者のする謝罪とは、劣勢を一時的に解消する手続きや儀式にすぎないたのです。
(吉田忙 「ヒトとサ正のあいだーー精神はいつ生まれたのか」による)
筆者は、弱者をどのようにとらえているか。
A. 弱者は正直であることで自らの尊厳を守ろうとする。
B. 弱者は理性を持って自らの過ちをわびょうとする。
C. 弱者は正論に頼って劣勢を解消しょうとする。
D. 弱者は謝罪することで自らを守ろうとする。
Câu 48: 以下は、ある会社がホームページに掲載したお知らせである。
東本タイヤ株式会社
2011年6月15日
タイヤ価格改定のお知らせ
当社は原材料価格の高騰を受け、トラック・バス等の特殊車両用タイヤの値上げを、本年3月(夏用タイヤ)、および4月(冬用タイヤ)実施致しました。
しかし、原材料のさらなる価格高騰が続き、現在の出荷価格の維持が不可能であると判断し、本年9月1日より、一般車両用タイヤを含むすべてのタイヤの出荷価格を改定することと致しました。
何卒ご理解頂きますようお願い申し上げます。
タイヤの出荷価格にみて、このこの文章は何を知らせているか。
A. すべてのタイヤの価格改定を3月、4月に続き、9月にも行こう。
B. 夏用タイヤ、冬用タイヤの両方の価格を、さらに2回改定する。
C. 春に改定しなかった一般車両用のタイヤ価格等も含め、9月に改定を行う。
D. 特殊車両用のタイヤに続き、9月からそれ以外のタイヤの価格も改定する。
Câu 49: 思春期を迎えた最近の子どもがストレスに弱いのは、それまで発達過度で適度にストレスにさらされる経験を十分にへてこなかったことが深く関係している。しかもそれは、彼らが会社化を十分に遂げてこなかったことと等しい。というもの、10代前半までの子どもは、それまでの生活圏を出てより広い会社文脈のなかでいかにして自己を実現させるかという課題に取り組むなかで、もっとも強くストレスを味わうからにほかならない。
(正高信男1「父親力」による)
筆者は、思春期を迎える前の子どもにとってどんな経験が必要だと考えているか。
A. 家庭の外の社会で多くの社会問題に取り組む経験
B. 日々の生活の場で自分自身と向き合うような経験
C. 広い社会の中で自分を鍛えることができるような経験
D. 日常生活の中で個人の発達段階に応じた役割を担う経験
Câu 50: 以前、花見をしている時に「桜の花は本当にきれいな正五角形(注1)だね」と言ったら、風情のない人だと笑われたことがあった。確かに、桜の花びらには微妙な色や形、そして香りに加えて、散りゆく美しさがある。花を愛めでる和歌や俳句は数限りないが 、そのなかに「正五角形」という言葉が使われたことはおそらく一度もないであろう。科学者特有の美意識は、風流とはかなり異質なものなのだと悟った。
科学において本質以外を切り捨てるためには、大胆な抽象化と理想化が必要である。桜の花びらのたくさんの特徴の中から、「正五角形」という形だけを取り出すと。これが抽象化である。実際に数学的な意味で完全な正五角形を示す花びら少ないだろうか、そこにはあまりこだわらない。これが理想化である。
自然界で正五角形のような対称性を示すためには必ず規則的な法則があるはずである。花の場合、品種によって花弁はなびら(注2)の回転対称性が遺伝子で決定されていることは間違いないから、うまくこの遺伝子を突きとめられれば、花の形を決める普遍的な法則見つかるに違いない。このように、抽象化と理想化によって自然現象は単純に整理でき、普遍的な法則を見つける助けになる。
(酒井邦嘉『科学者という仕事 』による)
(注1) 正五角形:五つの辺の長さが等しい五角形
(注2) 花弁はなびら:花びら
筆者は、自分が笑われた原因は、どこにあると考えているか。
A. 科学者らしくない趣のある表現で桜の花を褒めた点
B. 自分が桜の美しさを理解できていなかった点
C. 桜の花は自分が述べた形をしていなかった点
D. 桜の美しさを科学者的な視点から表現した点
Câu 51: 以前、花見をしている時に「桜の花は本当にきれいな正五角形(注1)だね」と言ったら、風情のない人だと笑われたことがあった。確かに、桜の花びらには微妙な色や形、そして香りに加えて、散りゆく美しさがある。花を愛めでる和歌や俳句は数限りないが 、そのなかに「正五角形」という言葉が使われたことはおそらく一度もないであろう。科学者特有の美意識は、風流とはかなり異質なものなのだと悟った。
科学において本質以外を切り捨てるためには、大胆な抽象化と理想化が必要である。桜の花びらのたくさんの特徴の中から、「正五角形」という形だけを取り出すと。これが抽象化である。実際に数学的な意味で完全な正五角形を示す花びら少ないだろうか、そこにはあまりこだわらない。これが理想化である。
自然界で正五角形のような対称性を示すためには必ず規則的な法則があるはずである。花の場合、品種によって花弁はなびら(注2)の回転対称性が遺伝子で決定されていることは間違いないから、うまくこの遺伝子を突きとめられれば、花の形を決める普遍的な法則見つかるに違いない。このように、抽象化と理想化によって自然現象は単純に整理でき、普遍的な法則を見つける助けになる。
(酒井邦嘉『科学者という仕事 』による)
(注1) 正五角形:五つの辺の長さが等しい五角形
(注2) 花弁はなびら:花びら
ここでの理想化とは何か。
A. 桜の花はどれも正五角形であるとみなすこと
B. 桜の花には共通する特徴があるとみなすこと
C. 桜の花には数学的な美しさがあると考えること
D. 桜の花は他のどの花よりも正五角形に近いと考えること
Câu 52: 以前、花見をしている時に「桜の花は本当にきれいな正五角形(注1)だね」と言ったら、風情のない人だと笑われたことがあった。確かに、桜の花びらには微妙な色や形、そして香りに加えて、散りゆく美しさがある。花を愛めでる和歌や俳句は数限りないが 、そのなかに「正五角形」という言葉が使われたことはおそらく一度もないであろう。科学者特有の美意識は、風流とはかなり異質なものなのだと悟った。
科学において本質以外を切り捨てるためには、大胆な抽象化と理想化が必要である。桜の花びらのたくさんの特徴の中から、「正五角形」という形だけを取り出すと。これが抽象化である。実際に数学的な意味で完全な正五角形を示す花びら少ないだろうか、そこにはあまりこだわらない。これが理想化である。
自然界で正五角形のような対称性を示すためには必ず規則的な法則があるはずである。花の場合、品種によって花弁はなびら(注2)の回転対称性が遺伝子で決定されていることは間違いないから、うまくこの遺伝子を突きとめられれば、花の形を決める普遍的な法則見つかるに違いない。このように、抽象化と理想化によって自然現象は単純に整理でき、普遍的な法則を見つける助けになる。
(酒井邦嘉『科学者という仕事 』による)
(注1) 正五角形:五つの辺の長さが等しい五角形
(注2) 花弁はなびら:花びら
筆者の考えによると、花の場合、抽象化と理想化によって何が期待されるか。
A. 花には品種を越た交通点があることが明らかになること
B. 自然界に咲いている花の美しさに普遍性が見いだされること
C. 花の形がどのように決まるのかその仕組みが解明されること
D. 花の形の対称性が遺伝子によるものであることが証明されること
Câu 53: 住居を買おうとするときは、その資産的な価値に重点を置いて考える人が多い。普通の人にとっては、一生に一度の買い物とでもいうべきもので、多額の金を費やさなくてはならないので、当然とだ。買った後で、何らかの事情で売らなくてはならない羽目になったときに、価値が減少していたのでは、大損害を被る。
だが、住居にとってより重要なのは、その有用性(注1)である。住みやすさが必要なのはもちろんだが、自分のライフスタイルに合った構造になっているとか、生活のしやすい環境にあって利便性(注2)に富んでいるとかの点も、重要な要素である。それらは必ずしも世間一般の価値基準とは一致しない。したがって、自分たちの考え方や行動様式に従い、それに照らし合わせて判断する必要がある。
特に、終すいの住処すみか(注3)として考えるときには、自分たちの生き方をはっきりと見極め、その視点に立ったうえで、選挙し決めていかなくてはならない。年を取ってくれば、当然のことながら、行動する能力は衰えてきて、動き回る範囲は狭まってくる。
自分たちの余生がどのようなものになるかについて、計画を立てたうえに想像力を働かせて、確実性の高い予測を組み立ててみる。
その未来図に従って、住むべき場所の 見当をつけ、住居の大きさや構造などを決めていく。もちろん、将来の経済状勢の大きな変化に備えて、予算を大きく下回る出費に抑えておくことも必要であることは、いうまでもない。
(山崎武也「シニアこそ都会に住もう一田舎暮らしいは不安がいっぱい」による)
(注1)有用性:役に立つこと
(注2)利便性:便利さ
(注3)終すいの住処すみか:人生を終えるまで住む家
世間の一般の価値基準として筆者が本文であげているのは何か。
A. 長期にわたって居住できる物件であること
B. 将来売却するときにも有利な物件であること
C. 購入者の生活様式に合った物件であること
D. 購入時の費用負担が抑えられる物件であると
Câu 54: 住居を買おうとするときは、その資産的な価値に重点を置いて考える人が多い。普通の人にとっては、一生に一度の買い物とでもいうべきもので、多額の金を費やさなくてはならないので、当然とだ。買った後で、何らかの事情で売らなくてはならない羽目になったときに、価値が減少していたのでは、大損害を被る。
だが、住居にとってより重要なのは、その有用性(注1)である。住みやすさが必要なのはもちろんだが、自分のライフスタイルに合った構造になっているとか、生活のしやすい環境にあって利便性(注2)に富んでいるとかの点も、重要な要素である。それらは必ずしも世間一般の価値基準とは一致しない。したがって、自分たちの考え方や行動様式に従い、それに照らし合わせて判断する必要がある。
特に、終すいの住処すみか(注3)として考えるときには、自分たちの生き方をはっきりと見極め、その視点に立ったうえで、選挙し決めていかなくてはならない。年を取ってくれば、当然のことながら、行動する能力は衰えてきて、動き回る範囲は狭まってくる。
自分たちの余生がどのようなものになるかについて、計画を立てたうえに想像力を働かせて、確実性の高い予測を組み立ててみる。
その未来図に従って、住むべき場所の 見当をつけ、住居の大きさや構造などを決めていく。もちろん、将来の経済状勢の大きな変化に備えて、予算を大きく下回る出費に抑えておくことも必要であることは、いうまでもない。
(山崎武也「シニアこそ都会に住もう一田舎暮らしいは不安がいっぱい」による)
(注1)有用性:役に立つこと
(注2)利便性:便利さ
(注3)終すいの住処すみか:人生を終えるまで住む家
筆者の考えでは、年を取ってから住む家として住居を選ぶときに最も大切なことは何か。
A. 老後の生き方や行動範囲に沿っているかを判断ずる。
B. 老後は行動する能力が衰えるため家の構造を優先する。
C. 未来の予測に沿って決めた予算と同じくらでぼのものを選ぶ。
D. いつか売るときのことも考えて資産的な価値を重視する。
Câu 55: 住居を買おうとするときは、その資産的な価値に重点を置いて考える人が多い。普通の人にとっては、一生に一度の買い物とでもいうべきもので、多額の金を費やさなくてはならないので、当然とだ。買った後で、何らかの事情で売らなくてはならない羽目になったときに、価値が減少していたのでは、大損害を被る。
だが、住居にとってより重要なのは、その有用性(注1)である。住みやすさが必要なのはもちろんだが、自分のライフスタイルに合った構造になっているとか、生活のしやすい環境にあって利便性(注2)に富んでいるとかの点も、重要な要素である。それらは必ずしも世間一般の価値基準とは一致しない。したがって、自分たちの考え方や行動様式に従い、それに照らし合わせて判断する必要がある。
特に、終すいの住処すみか(注3)として考えるときには、自分たちの生き方をはっきりと見極め、その視点に立ったうえで、選挙し決めていかなくてはならない。年を取ってくれば、当然のことながら、行動する能力は衰えてきて、動き回る範囲は狭まってくる。
自分たちの余生がどのようなものになるかについて、計画を立てたうえに想像力を働かせて、確実性の高い予測を組み立ててみる。
その未来図に従って、住むべき場所の 見当をつけ、住居の大きさや構造などを決めていく。もちろん、将来の経済状勢の大きな変化に備えて、予算を大きく下回る出費に抑えておくことも必要であることは、いうまでもない。
(山崎武也「シニアこそ都会に住もう一田舎暮らしいは不安がいっぱい」による)
(注1)有用性:役に立つこと
(注2)利便性:便利さ
(注3)終すいの住処すみか:人生を終えるまで住む家
住居選びについて、筆者が最も言いたいごとは何か。
A. 人が生活する上でどんな住居に住むかはとても大切であり、一般的な価値基準も参考にしたほうがよい。
B. 他人と考え方が異なったとしても、自分の生活スタイルを重視して将来の住居を決定したほうがよい。
C. 将来の経済状勢の変化に備えて、できるだけ資産価値の下がりにくそうな住居を選んだほうがよい。
D. 年を取るにつれて住居の好みも変わってくるため、その時々の考えに合わせて住居を選択したほうがよい。
Câu 56: 人間は、所詮しょせん、時代の子である、環境の子である。わたしたちの認識は、自分の生きてきた時代や環境に大きく左右される。ある意味、閉じ込められているといってもいい。認識できる「世界」はきわめて限定的なのであり、時代や環境の制約によって、認識の鋳型いがた(注1)ができてしまうから、場合によっては、大きく歪ゆがめられた「世界」像しか見えなくなることもある。わたしたちは、①そういう宿命を背負っているのである。
だから、「世界を知る」といいつつ、実は、偏狭へんきょうな認識の鋳型いがたで「世界」をくり貫ぬいた(注2)いるだけということが生じたりする。鋳型いがたが同じであるかぎり、断片的な情報をいくら集めたところで、「世界」の認識は何も変わらない。固まった世界認識をもつことは、「世界」が大きく変化する状況では非常に危険なことである。
一方で、これほど情報環境が発達したにもかかわらず、②「世界を知る」ことがますます困難になったと感じている人も増加している。果てしなく茫漠ぼうばく(注3)と広がり、しかも絶えず激動する「世界」が、
手持ちの世界認識ではさっぱり見えなくなってぎているからだ。たしかに、ただ漫然まんぜんとメディアの情報を眺めているだけでは激流げきりゅうに呑のみ込まれてしまう。
いまこそ、時代や環境の制約を乗り越えて、「世界を知る力」を高めること痛切に求められてるのではないか。
もちろん、時代や環境の制約から完全に自由になることはない。しかし、凝り固まった認識の鋳型いがたをほぐし、世界認識をできるだけ柔らかく広げ、自分たちが背負っているものの見方や考え方の限界がどこにあるのか、しっかりとらえ直すことはできるはずだ。
(寺島実郎 『世界を知る力」による)
(注1)鋳型いがた:ここでは、画一化した型
(注2)くり貫ぬいて:ここでは、切り取って
(注3)茫漠ぼうばく:広がりがあり過ぎて、はっきりしない様子
①そういう宿命とはどういう意味か。
A. 現代の人々は考えが時代や環境に歪(ゆが)められ、「世界」の見方が定まらない。
B. 現代の人々は時代や環境の制約を受けており、「世界」が正しく見えないこともある。
C. 人間はものの見方が時代や環境に縛られ、「世界」が正しく見えないこともある。
D. 人間は生き方が時代や環境に大きく影響を受け、「世界」の見方が定まらない。
Câu 57: 人間は、所詮しょせん、時代の子である、環境の子である。わたしたちの認識は、自分の生きてきた時代や環境に大きく左右される。ある意味、閉じ込められているといってもいい。認識できる「世界」はきわめて限定的なのであり、時代や環境の制約によって、認識の鋳型いがた(注1)ができてしまうから、場合によっては、大きく歪ゆがめられた「世界」像しか見えなくなることもある。わたしたちは、①そういう宿命を背負っているのである。
だから、「世界を知る」といいつつ、実は、偏狭へんきょうな認識の鋳型いがたで「世界」をくり貫ぬいた(注2)いるだけということが生じたりする。鋳型いがたが同じであるかぎり、断片的な情報をいくら集めたところで、「世界」の認識は何も変わらない。固まった世界認識をもつことは、「世界」が大きく変化する状況では非常に危険なことである。
一方で、これほど情報環境が発達したにもかかわらず、②「世界を知る」ことがますます困難になったと感じている人も増加している。果てしなく茫漠ぼうばく(注3)と広がり、しかも絶えず激動する「世界」が、
手持ちの世界認識ではさっぱり見えなくなってぎているからだ。たしかに、ただ漫然まんぜんとメディアの情報を眺めているだけでは激流げきりゅうに呑のみ込まれてしまう。
いまこそ、時代や環境の制約を乗り越えて、「世界を知る力」を高めること痛切に求められてるのではないか。
もちろん、時代や環境の制約から完全に自由になることはない。しかし、凝り固まった認識の鋳型いがたをほぐし、世界認識をできるだけ柔らかく広げ、自分たちが背負っているものの見方や考え方の限界がどこにあるのか、しっかりとらえ直すことはできるはずだ。
(寺島実郎 『世界を知る力」による)
(注1)鋳型いがた:ここでは、画一化した型
(注2)くり貫ぬいて:ここでは、切り取って
(注3)茫漠ぼうばく:広がりがあり過ぎて、はっきりしない様子
②「世界を知る」ことがますます困難になったのはなぜか。
A. 個人の世界認識が狭まり、実世界の時代の変化をつかみにくいから
B. 個人の世界認識が固まらず、実世界の情報に域わされてしまうから
C. 個人の世界認識が、実世界のめまぐるしい変化や情報量に対応できないから
D. 個人の世界認識が、高度に発達している実世界の情報環境に追いつけないから
Câu 58: 人間は、所詮しょせん、時代の子である、環境の子である。わたしたちの認識は、自分の生きてきた時代や環境に大きく左右される。ある意味、閉じ込められているといってもいい。認識できる「世界」はきわめて限定的なのであり、時代や環境の制約によって、認識の鋳型いがた(注1)ができてしまうから、場合によっては、大きく歪ゆがめられた「世界」像しか見えなくなることもある。わたしたちは、①そういう宿命を背負っているのである。
だから、「世界を知る」といいつつ、実は、偏狭へんきょうな認識の鋳型いがたで「世界」をくり貫ぬいた(注2)いるだけということが生じたりする。鋳型いがたが同じであるかぎり、断片的な情報をいくら集めたところで、「世界」の認識は何も変わらない。固まった世界認識をもつことは、「世界」が大きく変化する状況では非常に危険なことである。
一方で、これほど情報環境が発達したにもかかわらず、②「世界を知る」ことがますます困難になったと感じている人も増加している。果てしなく茫漠ぼうばく(注3)と広がり、しかも絶えず激動する「世界」が、
手持ちの世界認識ではさっぱり見えなくなってぎているからだ。たしかに、ただ漫然まんぜんとメディアの情報を眺めているだけでは激流げきりゅうに呑のみ込まれてしまう。
いまこそ、時代や環境の制約を乗り越えて、「世界を知る力」を高めること痛切に求められてるのではないか。
もちろん、時代や環境の制約から完全に自由になることはない。しかし、凝り固まった認識の鋳型いがたをほぐし、世界認識をできるだけ柔らかく広げ、自分たちが背負っているものの見方や考え方の限界がどこにあるのか、しっかりとらえ直すことはできるはずだ。
(寺島実郎 『世界を知る力」による)
(注1)鋳型いがた:ここでは、画一化した型
(注2)くり貫ぬいて:ここでは、切り取って
(注3)茫漠ぼうばく:広がりがあり過ぎて、はっきりしない様子
筆者は、「世界を知る力」を高めるためにできること何だと考えているか。
A. 今までの世界認識を改め、できるだけ多くの情報を得ること
B. 時代や環境の制約を克服して、自分の世界認識の限界を越えること
C. 情報の激流(げきりゅう)に呑(の)み込まれず、自分の世界認識の枠から自由になること
D. 自分の世界認識にできるだけ柔軟性を待たせ、その範囲を自覚すること
Câu 59: 我が身が生涯に望み、知りうることは、世界中を旅行しようと、何をしようと、小さい。あきれるくらい小さいのだが、この小ささに耐えていかなければ、学問はただの大風呂敷おおぶろしき(注1)になる。言葉の風呂敷ふろしきはいくらでも広げられるから、そうやっているうちに自分は世界的に考えている、そのなかに世界のすべてを包める、①そんな錯覚に捕えられる。木でいい家を建てる大工とか、米や野菜を立派に育てる農夫のうふとかは、そういうことにはならない。世界的に木を削ったり、世界標準の稲を育てたりはできないから、彼らはみな、自分の仕事において賢明である。我が身ひとつの能力でできることを知り抜いている。学問をすること、書物に学ぶことは、ほんとうは②これと少しも変わりはない。なぜなら、そうしたことはみな、我が身ひとつが天地の間でしっかりと生きることだからだ。
人は世界的にものを考えることなどはできない。それは錯覚であり、空想であり、愚かな思い上がりである。ただし、天地に向かって我が身を開いていることならできる。我が身ひとつでものを考え、ものを作っているほどの人間なら、それがどういう意味合いのことかは、もちろん知っている。人は誰でも自分の気質を背負って生まれる。学問する人にとって、この気質は、農夫のうふに与えられる土壌のようなものである。土壌は天地に開かれていなければ、ひからびて(注2)不毛になる。
与えられたこの土を耕し、水を引き、苗を植える。苗がみずから育つのを、毎日助ける。苗とともに、自分のなかで何かが育つのを感じながら。学問や思想もまた、人の気質に植えられた苗のように育つしかないのではないか。子供は、勉強して自分の気質という土を耕し、水を引き、もらった苗を、書物の言葉を植えるのである。それは、子供自身が何とかやってみるほかはなく、そうやってこそ、子供は学ばれる書物とともに育つことができる。子供が勉強をするのは、自分の気質という土壌から、
やがて実る精神の作物を育てるためである。「教養」とは、元来この作物を指して言うのであって、物知ものしりたちの大風呂敷おおぶろしきを指して言うのではない。
(前田暎樹「独学の精神」による)
(注1)大風呂敷おおぶろしき:実際より大きく見せたり言ったりすること
(注2)ひからびて:乾ききって
(注3)物知ものしり:物事をよく知っている人
①そんな錯覚に捕えられるとはどういう意味か。
A. 自分は何でも知っていて世界を相手にできると思う。
B. 言葉でどんなことでも伝えられるような気になる。
C. 学問から得られることには限界がないと感じてしまう。
D. 人間が世界から学べることはいかに大きいことかと思う。
Câu 60: 我が身が生涯に望み、知りうることは、世界中を旅行しようと、何をしようと、小さい。あきれるくらい小さいのだが、この小ささに耐えていかなければ、学問はただの大風呂敷おおぶろしき(注1)になる。言葉の風呂敷ふろしきはいくらでも広げられるから、そうやっているうちに自分は世界的に考えている、そのなかに世界のすべてを包める、①そんな錯覚に捕えられる。木でいい家を建てる大工とか、米や野菜を立派に育てる農夫のうふとかは、そういうことにはならない。世界的に木を削ったり、世界標準の稲を育てたりはできないから、彼らはみな、自分の仕事において賢明である。我が身ひとつの能力でできることを知り抜いている。学問をすること、書物に学ぶことは、ほんとうは②これと少しも変わりはない。なぜなら、そうしたことはみな、我が身ひとつが天地の間でしっかりと生きることだからだ。
人は世界的にものを考えることなどはできない。それは錯覚であり、空想であり、愚かな思い上がりである。ただし、天地に向かって我が身を開いていることならできる。我が身ひとつでものを考え、ものを作っているほどの人間なら、それがどういう意味合いのことかは、もちろん知っている。人は誰でも自分の気質を背負って生まれる。学問する人にとって、この気質は、農夫のうふに与えられる土壌のようなものである。土壌は天地に開かれていなければ、ひからびて(注2)不毛になる。
与えられたこの土を耕し、水を引き、苗を植える。苗がみずから育つのを、毎日助ける。苗とともに、自分のなかで何かが育つのを感じながら。学問や思想もまた、人の気質に植えられた苗のように育つしかないのではないか。子供は、勉強して自分の気質という土を耕し、水を引き、もらった苗を、書物の言葉を植えるのである。それは、子供自身が何とかやってみるほかはなく、そうやってこそ、子供は学ばれる書物とともに育つことができる。子供が勉強をするのは、自分の気質という土壌から、
やがて実る精神の作物を育てるためである。「教養」とは、元来この作物を指して言うのであって、物知ものしりたちの大風呂敷おおぶろしきを指して言うのではない。
(前田暎樹「独学の精神」による)
(注1)大風呂敷おおぶろしき:実際より大きく見せたり言ったりすること
(注2)ひからびて:乾ききって
(注3)物知ものしり:物事をよく知っている人
②これとは何を指すか。
A. 自分にできることを把握したうえで仕事をすること
B. 自分が世界のために何ができるかを考えて仕事に励む
C. できる限り多くの知識を得て自分の仕事に役立たせること
D. 人のためにできることは何かを考えたうえで仕事をする
Câu 61: 我が身が生涯に望み、知りうることは、世界中を旅行しようと、何をしようと、小さい。あきれるくらい小さいのだが、この小ささに耐えていかなければ、学問はただの大風呂敷おおぶろしき(注1)になる。言葉の風呂敷ふろしきはいくらでも広げられるから、そうやっているうちに自分は世界的に考えている、そのなかに世界のすべてを包める、①そんな錯覚に捕えられる。木でいい家を建てる大工とか、米や野菜を立派に育てる農夫のうふとかは、そういうことにはならない。世界的に木を削ったり、世界標準の稲を育てたりはできないから、彼らはみな、自分の仕事において賢明である。我が身ひとつの能力でできることを知り抜いている。学問をすること、書物に学ぶことは、ほんとうは②これと少しも変わりはない。なぜなら、そうしたことはみな、我が身ひとつが天地の間でしっかりと生きることだからだ。
人は世界的にものを考えることなどはできない。それは錯覚であり、空想であり、愚かな思い上がりである。ただし、天地に向かって我が身を開いていることならできる。我が身ひとつでものを考え、ものを作っているほどの人間なら、それがどういう意味合いのことかは、もちろん知っている。人は誰でも自分の気質を背負って生まれる。学問する人にとって、この気質は、農夫のうふに与えられる土壌のようなものである。土壌は天地に開かれていなければ、ひからびて(注2)不毛になる。
与えられたこの土を耕し、水を引き、苗を植える。苗がみずから育つのを、毎日助ける。苗とともに、自分のなかで何かが育つのを感じながら。学問や思想もまた、人の気質に植えられた苗のように育つしかないのではないか。子供は、勉強して自分の気質という土を耕し、水を引き、もらった苗を、書物の言葉を植えるのである。それは、子供自身が何とかやってみるほかはなく、そうやってこそ、子供は学ばれる書物とともに育つことができる。子供が勉強をするのは、自分の気質という土壌から、
やがて実る精神の作物を育てるためである。「教養」とは、元来この作物を指して言うのであって、物知ものしりたちの大風呂敷おおぶろしきを指して言うのではない。
(前田暎樹「独学の精神」による)
(注1)大風呂敷おおぶろしき:実際より大きく見せたり言ったりすること
(注2)ひからびて:乾ききって
(注3)物知ものしり:物事をよく知っている人
この文章では、学問をするということをどのような例を使って説明しているか。
A. 与えられた土を耕し、よい苗を選んで植える。
B. 与えられた土を耕し、よい作物になるように苗を育てる。
C. 与えられた土壌を改善するために耕し続ける。
D. 与えられた土壌を改善しながら世界標準の作物を育てる。
Câu 62: 我が身が生涯に望み、知りうることは、世界中を旅行しようと、何をしようと、小さい。あきれるくらい小さいのだが、この小ささに耐えていかなければ、学問はただの大風呂敷おおぶろしき(注1)になる。言葉の風呂敷ふろしきはいくらでも広げられるから、そうやっているうちに自分は世界的に考えている、そのなかに世界のすべてを包める、①そんな錯覚に捕えられる。木でいい家を建てる大工とか、米や野菜を立派に育てる農夫のうふとかは、そういうことにはならない。世界的に木を削ったり、世界標準の稲を育てたりはできないから、彼らはみな、自分の仕事において賢明である。我が身ひとつの能力でできることを知り抜いている。学問をすること、書物に学ぶことは、ほんとうは②これと少しも変わりはない。なぜなら、そうしたことはみな、我が身ひとつが天地の間でしっかりと生きることだからだ。
人は世界的にものを考えることなどはできない。それは錯覚であり、空想であり、愚かな思い上がりである。ただし、天地に向かって我が身を開いていることならできる。我が身ひとつでものを考え、ものを作っているほどの人間なら、それがどういう意味合いのことかは、もちろん知っている。人は誰でも自分の気質を背負って生まれる。学問する人にとって、この気質は、農夫のうふに与えられる土壌のようなものである。土壌は天地に開かれていなければ、ひからびて(注2)不毛になる。
与えられたこの土を耕し、水を引き、苗を植える。苗がみずから育つのを、毎日助ける。苗とともに、自分のなかで何かが育つのを感じながら。学問や思想もまた、人の気質に植えられた苗のように育つしかないのではないか。子供は、勉強して自分の気質という土を耕し、水を引き、もらった苗を、書物の言葉を植えるのである。それは、子供自身が何とかやってみるほかはなく、そうやってこそ、子供は学ばれる書物とともに育つことができる。子供が勉強をするのは、自分の気質という土壌から、
やがて実る精神の作物を育てるためである。「教養」とは、元来この作物を指して言うのであって、物知ものしりたちの大風呂敷おおぶろしきを指して言うのではない。
(前田暎樹「独学の精神」による)
(注1)大風呂敷おおぶろしき:実際より大きく見せたり言ったりすること
(注2)ひからびて:乾ききって
(注3)物知ものしり:物事をよく知っている人
筆者は「教養」をどのようなものだと考えているか。
A. 新たな気質を見いだすことができる学問や思想
B. 人それぞれの気質の中で育(はぐく)まれた学問や思想
C. 生きていくうえで必要な専門的な知識
D. 書物や学問から得られた多くの知識
Câu 63: A
乳幼児期の子どもは、身近な人とのかかわりあい、そして遊びのなどの実体験を重ねることによって人間関係を築き、心と身体を成長させます。ところが乳幼児期からのメディア(注1)清けの生活では、外遊びの機会を奪い、人とのかなわり保験の不足を招きます。実際、運動不足、睡眠不足そして、コンミュニケーション能力の低下などを生じさせ、その結果、心身の発達の遅れや歪ゆがみが生じた事例が臨床りんしょうの場(注2)から報告されています。このようなメディアの弊害は、ごく一部の影響を受けやすい個々の子どもの問題としてではなく、メディアが子ども全体に及ぼす影響の甚大さの警鐘と私たちはとらえています。特に象微機能(注3)が未熟な2歳以下の子どもや、発達に問題のある子どものテレビ画面への早期接触や長時間化は、息子が顔をあわせ一緒に遊ぶ時間を奪い、言葉や心の発達を妨げます。
(社団法人日本小児科医会
B
専門家からは「テレビをやめて積極的に外遊びをしましょう」「自然の中で遊びましょう意見が聞かれますが、お母さんたちは進んでテレビを見せているのではなく、地域に出ても同世代の子どもがいない、昔と比べて自然がなくなった、という問題もあるのだと思います。(中略)多くの親は、テレビの長時間視聴がよくないことを自覚しており、見せる内容にも気を遣ってす。生活の中からテレビを排除するだけではなく、一日に六時間も七時間も子どもにテレビを見せる親の背景に何があるのかを考えなければ、問題の根本的な解決にはならないのです。
したがって、私たちの生活スタイルと、子どもにとって望ましいテレビ視聴のあり方のバランスをとりながら、これらの検証を進める必要があるのではないでしょうか。
(小西行郎「早期教育と脳」による)
(注1)メディア:ここでは、テレビやビデオ
(注2)臨床りんしょうの場:実際の診察、治療の現場
(注3)象徴機能:ここでは、身の回りのものを、例えば言葉などで表す働き
子どもにテレビを長時間見せることについて、AとBの観点はどのようなものか。
A. Aは問題解決を意識した今後の課題を述べ、Bは批判的に現状を報告している。
B. Aは解決を意識した問題提起をし、Bは問題の原因は社会的背景にあると指摘している。
C. Aは影響の大きさを示して注意を喚起し、Bは問題解決を意識した今後の課題を述べている。
D. Aは問題の原因は社会的背景にあると指摘し、Bは影響の大を示して注意を喚起している。
Câu 64: A
乳幼児期の子どもは、身近な人とのかかわりあい、そして遊びのなどの実体験を重ねることによって人間関係を築き、心と身体を成長させます。ところが乳幼児期からのメディア(注1)清けの生活では、外遊びの機会を奪い、人とのかなわり保験の不足を招きます。実際、運動不足、睡眠不足そして、コンミュニケーション能力の低下などを生じさせ、その結果、心身の発達の遅れや歪ゆがみが生じた事例が臨床りんしょうの場(注2)から報告されています。このようなメディアの弊害は、ごく一部の影響を受けやすい個々の子どもの問題としてではなく、メディアが子ども全体に及ぼす影響の甚大さの警鐘と私たちはとらえています。特に象微機能(注3)が未熟な2歳以下の子どもや、発達に問題のある子どものテレビ画面への早期接触や長時間化は、息子が顔をあわせ一緒に遊ぶ時間を奪い、言葉や心の発達を妨げます。
(社団法人日本小児科医会
B
専門家からは「テレビをやめて積極的に外遊びをしましょう」「自然の中で遊びましょう意見が聞かれますが、お母さんたちは進んでテレビを見せているのではなく、地域に出ても同世代の子どもがいない、昔と比べて自然がなくなった、という問題もあるのだと思います。(中略)多くの親は、テレビの長時間視聴がよくないことを自覚しており、見せる内容にも気を遣ってす。生活の中からテレビを排除するだけではなく、一日に六時間も七時間も子どもにテレビを見せる親の背景に何があるのかを考えなければ、問題の根本的な解決にはならないのです。
したがって、私たちの生活スタイルと、子どもにとって望ましいテレビ視聴のあり方のバランスをとりながら、これらの検証を進める必要があるのではないでしょうか。
(小西行郎「早期教育と脳」による)
(注1)メディア:ここでは、テレビやビデオ
(注2)臨床りんしょうの場:実際の診察、治療の現場
(注3)象徴機能:ここでは、身の回りのものを、例えば言葉などで表す働き
子どもとテレビの関係について、AとBはどのように述べているか。
A. Aはメディアとの接触より親子のかかわりが大切だと述べ、Bはテレビを見せるよりも外での遊びを重視したほうがいいと述べている。
B. Aはメディアとの接触が子どもの発育を妨げる要因だと述べ、Bは子育てを取り巻く状況がテレビの見せ過ぎを引き起こす場合があると述べている。
C. Aはメディアとの接触が長いことよりも実体験不足のほうが問題だと述べ、Bは生活の中からテレビを排除しただけでは問題は解決しなあと述べている。
D. Aはメディアに長時間接することが子どもの成長に影響を与える場合が多いと述べ、B は親が子どもに適切にテレビを見せることが大切だと述べている。
Câu 65:
1.留学生のリーさんは、毎週3回ぐらい店でアルバイトをしたいと考えている。リーさは平日の午後3時から9時までの間しな働けないが、同じ時間仕事をした場合、一番給料が多いのはどの仕事か。
A. ①中国料理店スタ
B. ②日本そば屋スタッフ
C. ③居酒屋スタッフ
D. ④コンビニ店員
Câu 66:
2.大学生の山田さんは夏休みの旅行の費用が少し足りないので、7月に1日か2日だけアルバイトをしたいと考えている。山田さんが応募できる仕事はいくつあるか。